吉民整骨院院長の西海晃斗です。
では・・・
通勤途中にお寺の前に書かれてた言葉。
やがて自分がどういう存在か
気づかなければいけない時が来る。
共感します。
小さい頃から自分がどういう存在なのかが気づけたら
良いのだが、多くはそうもいかない。
自分が家業を継ぐ存在なら
気づくことが出来るが、それは例外でしょう。
だが誰しもが気づかなければいけない時がくる。
もしかしたら、来ないかもしれないが
普通に生きてたら、それは自然とやって来るのだろう。
自分がどういう存在かに気づいたのなら
それに素直に走っていく、
歩いていく事が求められてる。
だが情、欲、様々なものに惑わされてしまい
自分の存在を無駄にしてしまうこともあると思う。
その時は気付いた時点で修正した方が賢明です。
そのまま行くと
戻れない時もある。
それが人生が有限だという事でもあるのです。
何か惑わされる物がやってきた時は
自分が試されてると感じた方が良い。
そして、その問題、惑わさられる環境を
自然体ですんなり昇華することが出来たら
新しい自分に成れてます。
様々な事に執着、囚われることが
苦しみを生むのです。
ただ自分の足元を見て
歩く方を見て
自分の存在に気づき
自分のニーズにエネルギーを注いでたら
自分流の幸せが得られるようになってます。
今日もご縁のある方々に対して
お役にたてるように
貢献できるように
生きます。
ご先祖の方々に感謝します。